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金閣寺と着物

 年末に着物の本に載せる写真を撮るために京都に行ってきました。
クリックすれば拡大できます。

湖面金閣寺のみブログ用 image[1] P1030120金閣寺自分ブログ用
湖面に映った金閣寺 足利義満      外人観光客にもてた!
P1030098金閣寺ブログ用 P10301003階金閣ブログ用 P1030099鳳凰ブログ用
風が強いと波が立って湖面には映らない 
                 3層宝造り          鳳凰
金閣寺

金閣寺の正式名称は鹿苑寺(ろくおんじ)で、舎利殿「金閣」が有名なため金閣寺と通称されます。室町幕府3代将軍足利義満は南北朝の合一にも成功し、世の中がひとときの平和を取り戻した応永元(1394)年、37歳にして将軍職を譲り、翌年出家。応永4(1397)年には衰微した貴族、西園寺家の別荘である北山第を譲り受け、新たに「北山殿」という山荘を造営しました。黄金浄土世界の再現を望み、特に舎利殿は金箔をもって建物を覆いこれが金閣の始まりです。舎利殿「金閣」は三層宝造の建物で、初層は寝殿造り(貴族様式)、二層は書院造(武家造り)、三層は仏殿風になっており、武家の方が貴族よりも上であるのを体現させています。屋根には鳳凰がのっていますが、鳳凰は聖天子があらわれると姿をあらわすという想像上の目出度い鳥であり、自分(足利義満)こそが聖天子であるという意味を込めて、天皇よりも自分は偉いのだと皆に知らせるためにつけたそうです。義満は息子を天皇の座につけようとし、自分自身は治天の君になろうとしたようです。このような野望が、貴族や武家に反発を買い変死したそうです。このように日本では朝廷をないがしろにすると、殺されるようです。残念ながら織田信長も朝廷を軽視したために、謀反により殺されました。

 義満は変死しましたが、金閣寺という素晴らしい建物を残したため現在は多くの観光客で賑わっています。特に外人観光客が多く着物を着ていくと、外人観光客から一緒に写真を撮らせて下さいと言われておおもてでした。

   着物はアンサンブルに袴を穿いています。昨日が雨で道が少し濡れていたのでブーツを履いています。
袴とブーツは良く合い、ガンガン歩けます。

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