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銀閣寺と着物

image[6] P1030063銀閣寺入り口ブログ P1030066銀閣寺入った所ブロ
8代将軍足利義政 銀閣寺参道        入ったところ
 
  波形に盛り上げた銀沙灘(ぎんしゃだん)と円錐型の向月台(こうげつだい)ブログ用 P1030067銀閣寺1 P1030069銀閣寺2
砂を波形に盛り上げた銀沙灘(ぎんしゃだん)と円錐型の向月台(こうげつだい)

銀閣寺

銀閣寺(ぎんかくじ)は金閣寺と並ぶ京都楼閣建築の代表寺院ですが、正式名称を慈照寺(じしょうじ)といいます。銀閣寺を創建したのは室町幕府8代将軍の足利義政で、祖父である足利義満が建てた北山山荘(金閣寺)を参考に、東山文化の代表東山山荘を造営しました。東山山荘の楼閣建物を「銀閣」と呼ぶことから、寺院全体が銀閣寺と称されています。ただし、銀箔は貼らなかったようです。

歴代征夷大将軍の中で最も愚鈍とも言われている足利義政ですが、文化人としての足利義政は一流でした。東山文化の東山というのは、義政が建てた山荘(今の銀閣寺)の地名から来ています。義政は作庭家の善阿弥、狩野派絵師の狩野正信、土佐派絵師の土佐光信、能楽者の音阿弥、漢文学の横川景三などを始めとした、将軍の近くで雑務や芸能にあたった同朋衆を召抱ており(その総数は武を以て奉公する奉公衆を凌ぐ程でした)、侘び寂びの要素を強く含んだ「東山文化」を完成させました。今に伝わる東山文化の例を挙げると、建築・造園・絵画・茶の湯・連歌・能などです。また銀閣寺の東求堂にある義政の書斎は、今のお茶の間の原型になったとも言われています特に茶器集めには凝っていたようで、眺めては悦に入っていたようです。

何事も初代が頑張って、3代目が立派であれば長く続くようです。ただ8代目くらいで中興の祖が出ないとダメになるようです。8代将軍足利義政が政治に向かなかったようで、次期将軍のことで揉めて応仁の乱が長く続き戦国時代に突入しました。徳川幕府は8代将軍吉宗が出て幕府を立て直し、幕末まではしっかりと幕藩体制を維持できたようです。

 着物は銀閣寺に合わせて、大島、錦紗の羽織と茶色の袴を穿いて渋めにしています。神社仏閣の
土の道は足袋がすぐ汚れるので、ブーツを履いています。
P1030084銀閣寺自分ブログ用

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