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小倉城と桜

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P1040125左昼ブログ用 P1040151正面ブログ用 P1040142右昼ブログ用
桜と城は良く似合う。
P1040179左夜2ブログ用 P1040181中ブログ用 P1040188右夜ブログ用
夜桜 もきれい。    震災後久々のライトアップ。
P1040155ブログ用 DSC01856ブログ用 小倉城からの遠景補正版ブロ
北側から見る小倉城    城内        天守閣から見る遠景

小倉城と桜

 城とはどうしてこんなに似合うのか?城の壁が白い方が良く似合うが、熊本城みたいに黒くても良く似合う。桜が何にでも似合うのか。桜も色々あるが、枝垂れ桜よりも天に向かって伸びる桜の方がきれいである。その中でもソメイヨシノが綺麗である。
  小倉城の美しさも完璧です。四階より五階がせり出して登れないようになっていて、丁度、人間の首に当たるところが小さくなっているので全体がスマートに見えるのでしょう。名古屋城は太めだし、大阪城はケバイので、小倉城は姫路城の次に美しいのではないでしょうか。

ソメイヨシノ染井吉野学名: Cerasus ×yedoensis (Matsum.) A.V.Vassil. Somei-yoshino’)とはそれぞれ日本原産種のエドヒガン系の桜とオオシマザクラの交配で生まれたと考えられる日本産の園芸品種である。ソメイヨシノはほぼ全てローンである。日本では明治の中頃より、サクラの中で圧倒的に多く植えられた品種であり、今日では、メディアなどで「桜が開花した」というときの「桜」はソメイヨシノ(の中の、気象台が定めるなどした特定の株)を意味するなど、現代の観賞用のサクラの代表種である

 

関門海峡に面した小倉は、陸海の交通の要衝として、古くから砦や城が構えられた地でした。この地を抑えるために 繰りひろげられた、多くの豪族たちの攻防の歴史も残っています。小倉城の歴史は、戦国末期(1569年)、中国地方の毛利氏が現在の地に城を築いたことから始まります。その後、高橋鑑種(たかはし あきたね)や毛利勝信(もうり かつのぶ)が居城し、関ヶ原合戦の功労で入国した細川忠興(ほそかわ ただおき)によって、1602年に本格的に築城が始まり約七年の歳月を要しました。忠興は城下町繁栄策として、諸国の商人や職人を集めて商工業保護政策を実施。外国貿易も盛んにし、同時に祇園祭りも誕生させました。細川氏熊本転 封の後には、播磨国明石から細川家とは姻戚関係にある譜代大名の小笠原忠真(おがさわら ただざね)が、1632年に入国。小倉・小笠原藩は、将軍・徳川家光から九州諸大名監視という特命を受けていました。

 
P1040185小倉城右ブログ用  IMG本の表紙ブログ用 IMG_0001本の裏ブログ用   

               出版する本の表紙と裏
今回の着物は、茶色の大島に錦紗の羽織をあわせています。

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Category: 小倉城と桜2013

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