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新年会と着物

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P1030325大阪屋ブログ用 P1030278ブログ用 P1030281メニューブログ用
大阪屋、マントを羽織る、櫛田神社の福寄せ  博多づくしのメニュー
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和可奈さん      赤の長襦袢が色っぽい!
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 3人の息もぴったり。   舞妓さん     外人さん
3766日本髪ブログ用 P1030320ブログ用集合 P1030302自分と券番ブログ用
自毛の日本髪 全員集合          幸せ!鼻の下が伸びている!
  
  

千年工房の新年会、着物パーティ

新年会に参加しました。出席者は30名弱でみんな着物を着て、大阪屋という料亭に集まりました。福岡なのに何で大阪屋なのかは、初代が大阪から博多に来て料亭を始めたからと若女将が説明してくれました。博多券番(芸妓)を3人も上げて踊りを見たりお酌をしてもらうのは、なかなかできないことです。これも千年工房のおかげと感謝しています。食事は名物のおきゅうとやめんたい等博多づくしです。途中で景品の抽選があり、着物の反物、帯、草履などたくさんありましたが、自分には何も当たらず残念です!自分の髪で日本髪を結った女性がいらっしゃいましたが、なかなかいいものです。他の女性から羨望の眼差しを受けて、おおモテでした。ちなみに博多券番は鬘(かつら)だそうです。博多には日本髪が結えるような美容院がまだ残っているようです。

博多券番の着物は黒留めですが、自分としては舞妓さんみたいに色ものの着物が好きでその方が女性を綺麗に見せると思います。日本人は髪の毛も黒、眉も黒なので、黒はどうしてもキツイ感じがしますが、金髪の外人男子が黒の紋付羽織を着ると悔しいくらい良く似合います。髪の毛の金色と着物の黒が引立て合っているのでしょう。結婚式も親族は黒留めがルールになっていますが、色留めの方が華やかな感じがしてお祝いの席にはあっているように思います。どうしても黒の着物を着る場合は、女性は最初赤に染めて後で黒に染めた着物を、男性は最初藍で染めて後で黒に染めた2度染めの着物を着ると、黒に深みが出て良いようです。ちなみに宮中に招かれた場合は、黒留めはダメだそうです。
 

P103032ブログ用3人と自分  今回の着物は千年工房の前の一十で買った帯を中心に纏めました。藤布の帯で
時期は早いのですが、千年工房に敬意を表して。着物は市松模様の紬で羽織は刺繍紋の入った羽二重です。

              
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Category: 新年会と着物

成人式と振袖

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のきゃりーぱみゅぱみゅ DSC02132ブログ用 DSC02130ブログ用
きゃりーぱみゅぱみゅ   成人式、色とりどりで華やか!
DSC02128ブログ用 おどり1 DSC00090ブログ用
ちょい悪成人       舞妓さん     だらり帯
P1010255buroguyou切り取り1   P1010464帯1横 P1010306帯1後ろ
刺繍 の入った着物
P1010263p切り取り2正面  P1010463帯2横  P1010308帯2後ろ
凝った染めで雰囲気あり。着こなしが悪い。

成人式と振袖

 日本における今日の形態の成人式は、終戦間もない19461122埼玉県北足立郡蕨町(現:蕨市)において実施された「青年祭」がルーツとなっている。敗戦により虚脱の状態にあった当時、次代を担う青年達に明るい希望を持たせ励ますため、当時の埼玉県蕨町青年団長高橋庄次郎が主唱者となり青年祭を企画、会場となった蕨第一国民学校(現:蕨市立蕨北小学校)の校庭にテントを張り、青年祭のプログラムとして行われた。この「成年式」が全国に広まり現在の成人式となった。成人式の参加対象となる成人は、前年の「成人の日」の翌日からその年の「成人の日」までに誕生日を迎える人を祝う日となっている。しかし、最近(特にハッピーマンデー制度導入以降)は前年の42日からその年の41日に成人する人を式典参加の対象にする、いわゆる学齢方式が定着するようになっている。

 

未婚女性が祭礼や儀礼的な場面で着用する正装の晴れ着である和服が振袖。振袖の特徴は袖の「袂」(たもと)が特に長いことにある。

袖に腕が入る方向に対して垂直方向の袂(たもと)の長さが袖丈である。和裁においては袂はその長さにより「大振袖」(袖丈114cm前後)「中振袖」(袖丈100cm前後)「小振袖」(袖丈85cm前後)に分類される。日本女性には振袖がよく似合うので、成人式や結婚式以外にもなるべく多く着て欲しいものです。ただ最近の振袖は機械プリントのものが多く、味わいに欠けます。昔の振袖は人件費も安く需要も多かったので、刺繍をしたり手書き・手染めのものも多く雰囲気があります。

 



Category: 成人式と振袖

平成25年のお正月

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P1030036ロビー紋付きブログ用 P1030050離れブログ用 P1030125もちつきブログ用
正月飾り、羽織袴  和室には泊まれなかった、残念。 餅つき 、腰がフラフラ!
P1030134お餅ブログ用 P1030143花魁道中ブログ用 P1030144jpg花魁ブログ用
お餅 、黄粉、小豆、おろし 花魁(おいらん)と禿(かむろ)
P1030162獅子舞ブログ用 P1030168恐竜ブログ用 P1030207和菓子
獅子舞          突然飛び出して、ビックリ! 金柑、胡桃と南天、御所車

平成25年のお正月

   今年もよろしくお願いします。

 元旦は京都のホテルで過ごしました。朝はお屠蘇と白みその雑煮を頂いて、お餅つきに参加しました。久々の餅つきで腰がふらふらします。本職の人の餅つきは軸がぶれず無駄がありません。つきあがったもちを、黄粉、小豆、大根おろしで頂き非常に美味しかったです。杵つき餅は腰があってしっかり咬まないと喉に詰まりそうです。お腹もいっぱいになったので、嵐山に向かって出発しました。途中、太秦の映画村に寄りました。中に入ると、花魁(おいらん)道中があっていて写真を撮りました。花魁が三枚歯下駄を器用に回しながら(外八文字)進んでいきます、寒いのに素足です、足袋は履かないのでしょうか。露払いの禿(かむろ、花魁の身の回りの世話をする少女)もかわいいです。別の場所では獅子舞があっていたので見に行きました。獅子に頭をかまれるとその年は無病息災で元気で過ごせるという 言い伝えがあるそうなので、みんな獅子にカチカチと噛んでもらっていました。変身コーナーがあって、女性は舞妓さん、男性は殿様や侍等に扮装していましたが、やっぱり日本人には着物が似合います。2階級特進で恰好良くなります。自分も殿様に変身して写真を撮りましたが、ちょんまげと髭は似合いませんでした。歩いていると池から急に恐竜が出てきましたので、びっくりしました。自動で出たり引っ込んだりするようです。

 その後嵐山へ行って、途中に和菓子屋さんがあって、美味しそうなお菓子が並んでいたので写真のようなお目出度い和菓子を買って帰りました。次に西陣手描き友禅体験コーナーを見学していると、帯に墨と金彩で鳥獣戯画を書いたものがあったのですが、非常にお洒落でいずれ羽織に鳥獣戯画を書いて貰おうと思いました。

今年は巳年ですが、自分は年男でさらに12月には還暦になります。今年の目標の1つが着物の本を個人出版することです。原稿もほぼ出来上がり見積もりに出しています。頑張って本を出すぞ!

 


Category: 未分類

銀閣寺と着物

image[6] P1030063銀閣寺入り口ブログ P1030066銀閣寺入った所ブロ
8代将軍足利義政 銀閣寺参道        入ったところ
 
  波形に盛り上げた銀沙灘(ぎんしゃだん)と円錐型の向月台(こうげつだい)ブログ用 P1030067銀閣寺1 P1030069銀閣寺2
砂を波形に盛り上げた銀沙灘(ぎんしゃだん)と円錐型の向月台(こうげつだい)

銀閣寺

銀閣寺(ぎんかくじ)は金閣寺と並ぶ京都楼閣建築の代表寺院ですが、正式名称を慈照寺(じしょうじ)といいます。銀閣寺を創建したのは室町幕府8代将軍の足利義政で、祖父である足利義満が建てた北山山荘(金閣寺)を参考に、東山文化の代表東山山荘を造営しました。東山山荘の楼閣建物を「銀閣」と呼ぶことから、寺院全体が銀閣寺と称されています。ただし、銀箔は貼らなかったようです。

歴代征夷大将軍の中で最も愚鈍とも言われている足利義政ですが、文化人としての足利義政は一流でした。東山文化の東山というのは、義政が建てた山荘(今の銀閣寺)の地名から来ています。義政は作庭家の善阿弥、狩野派絵師の狩野正信、土佐派絵師の土佐光信、能楽者の音阿弥、漢文学の横川景三などを始めとした、将軍の近くで雑務や芸能にあたった同朋衆を召抱ており(その総数は武を以て奉公する奉公衆を凌ぐ程でした)、侘び寂びの要素を強く含んだ「東山文化」を完成させました。今に伝わる東山文化の例を挙げると、建築・造園・絵画・茶の湯・連歌・能などです。また銀閣寺の東求堂にある義政の書斎は、今のお茶の間の原型になったとも言われています特に茶器集めには凝っていたようで、眺めては悦に入っていたようです。

何事も初代が頑張って、3代目が立派であれば長く続くようです。ただ8代目くらいで中興の祖が出ないとダメになるようです。8代将軍足利義政が政治に向かなかったようで、次期将軍のことで揉めて応仁の乱が長く続き戦国時代に突入しました。徳川幕府は8代将軍吉宗が出て幕府を立て直し、幕末まではしっかりと幕藩体制を維持できたようです。

 着物は銀閣寺に合わせて、大島、錦紗の羽織と茶色の袴を穿いて渋めにしています。神社仏閣の
土の道は足袋がすぐ汚れるので、ブーツを履いています。
P1030084銀閣寺自分ブログ用

Category: 銀閣寺

金閣寺と着物

 年末に着物の本に載せる写真を撮るために京都に行ってきました。
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湖面金閣寺のみブログ用 image[1] P1030120金閣寺自分ブログ用
湖面に映った金閣寺 足利義満      外人観光客にもてた!
P1030098金閣寺ブログ用 P10301003階金閣ブログ用 P1030099鳳凰ブログ用
風が強いと波が立って湖面には映らない 
                 3層宝造り          鳳凰
金閣寺

金閣寺の正式名称は鹿苑寺(ろくおんじ)で、舎利殿「金閣」が有名なため金閣寺と通称されます。室町幕府3代将軍足利義満は南北朝の合一にも成功し、世の中がひとときの平和を取り戻した応永元(1394)年、37歳にして将軍職を譲り、翌年出家。応永4(1397)年には衰微した貴族、西園寺家の別荘である北山第を譲り受け、新たに「北山殿」という山荘を造営しました。黄金浄土世界の再現を望み、特に舎利殿は金箔をもって建物を覆いこれが金閣の始まりです。舎利殿「金閣」は三層宝造の建物で、初層は寝殿造り(貴族様式)、二層は書院造(武家造り)、三層は仏殿風になっており、武家の方が貴族よりも上であるのを体現させています。屋根には鳳凰がのっていますが、鳳凰は聖天子があらわれると姿をあらわすという想像上の目出度い鳥であり、自分(足利義満)こそが聖天子であるという意味を込めて、天皇よりも自分は偉いのだと皆に知らせるためにつけたそうです。義満は息子を天皇の座につけようとし、自分自身は治天の君になろうとしたようです。このような野望が、貴族や武家に反発を買い変死したそうです。このように日本では朝廷をないがしろにすると、殺されるようです。残念ながら織田信長も朝廷を軽視したために、謀反により殺されました。

 義満は変死しましたが、金閣寺という素晴らしい建物を残したため現在は多くの観光客で賑わっています。特に外人観光客が多く着物を着ていくと、外人観光客から一緒に写真を撮らせて下さいと言われておおもてでした。

   着物はアンサンブルに袴を穿いています。昨日が雨で道が少し濡れていたのでブーツを履いています。
袴とブーツは良く合い、ガンガン歩けます。

Category: 金閣寺と着物

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